もともと福祉に興味があったかといえば、そうではなかったんです。「人と接する仕事」を将来したいなと思っていて、大学を受験するときに社会福祉という分野に出会いました。そして福祉を軸に就活する中で見つけたのが紀三福祉会でした。多くの企業・法人が介護職だけを募集する中で、総合職と介護職を別々に採用していて、現場だけでなく法人運営に携われるというのは、とても大きな魅力に感じたんです。たとえば超高齢社会を迎えることによる「2025年問題」など、福祉を学ぶ中でさまざまな社会的な課題があることを知りました。だからこそ、それに対して新事業を考えたり、既存の仕組みを更新したりと、自ら介護業界を少しでも変えていける環境で働きたいと思いました。
私が最初に取り組ませてもらったのは新人用のマニュアルづくりです。ひとくちに介護や福祉といっても、施設やサービスによって業務がまったく異なります。職員間でサービスの品質にブレが出るのもよいことではありません。次に配属される人のためにもマニュアルづくりを提案し、担当させてもらいました。また、たくさんの人に福祉のことを知ってもらうきっかけとして、TikTokなどのSNSで情報発信も、若手中心に積極的に行っています。現場で働きながら意識しているのは、利益をサービスとして還元するための仕組みづくり。日頃から業務改善について意見を交わす機会もあるので、気になったことは書き留めて提出しています。少しずつでもよりよい職場に進化していく実感もありますね。
総合職も最初の2年間で3〜4箇所の施設で現場を学びます。その中で感じたのは、介護職は想像以上にデスクワークが多いということ。利用者様の記録をつけたり、手続きの書類を作ったり。本当はもっとゆっくり利用者様とお話ししていたい時も、事務作業に時間を割かなくてはなりませんでした。だからこそ、介護専門職の方の事務的負担を軽減し、利用者様と向き合う時間を今以上に確保できるよう変えたいですね。他にも、たとえばお風呂の時間など、今は現場の都合で朝から交代交代でご入浴いただいていますが、本当は一日の終わりに入りたい人もいるのではないかと思うんです。未来に向けて、よりいっそう利用者様の意思を尊重した介護ができる体制づくりにチャレンジしたいと思っています。
年の離れた兄が福祉の仕事をしていて、幼い頃から働く姿を見せてもらったり、話を聞いたり、介護の仕事の魅力に触れていました。「以前働いていた老人ホームに、久しぶりに顔を出したら、利用者さんみんな集まって歓迎してくれたんだ」なんて嬉しそうに話す姿を見ていたら、私もそんな風に人の暖かさに触れられる仕事をやってみたいなって思ったんです。中学校の授業の職場体験も介護施設に行かせてもらいましたし、もうその頃には自分の中で進路が決まっていました。今もこの選択に後悔はありませんし、実際に兄が話していたように日々のコミュニケーションを楽しみながら働けています。
ずっとお元気だった利用者様。やがて終末期を迎えられ、最期の時が迫っていました。旅立たれる前にとっておきの思い出を作れないかと、職員みんなで話し合いました。そこで、お元気だった頃伺っていた「日本酒が大好きなんだ」という話を思い出して、風味だけでも味わってもらえないかなって。ご家族の方と一緒にお酒を愉しんでいただくことになりました。唇にちょこんと乗せたお酒をじっくり味わう利用者様。ゆっくり飲み込んだあと、「こんな幸せなことないよ」と、嬉しそうに笑う姿は忘れられません。お別れはもちろん辛いことです。でも、誰かの人生の最期の記憶に、自分が残れたのです。これって、とてもかけがえないことだなって、この仕事をやっていてよかったと思える瞬間ですね。
私は自分のまわりにいる人を放っておけないし、誰かの力になりたい性格。だから、「この人に相談したいな」って後輩から意識してもらえる存在になりたいですね。仕事をしていくうえで、悩みやしんどいことはどうしてもあります。そんなモヤモヤを吸収してくれる人がいてほしいなって、自分自身が一番思っていました。少しでも悩みを打ち明けられて、それが解決できなくても吐き出せるだけで救われることってたくさんあるはずです。心がポキっと折れる前に、支えになれる存在になりたい。だから今は後輩たちとコミュニケーションをたくさんとって、ちょっとした変化にも気付いて、力になれる存在になりたいなって思っています。
入社当初はデイサービスに配属となり、そこで7年間くらい働きました。やがて従来型の特別養護老人ホームへと異動となり、現場の介護士として半年間働いた後生活相談員に。その間に副主任に昇格となりました。そして1年前に現在の職場であるユニット型の特別養護老人ホームに配属され、同時に主任職として現場を仕切る立場を任せていただいています。同じ介護でも、デイサービスと特別養護老人ホームとでは求められるスキルがまったく異なります。介護士としての専門性を高めながら、同時にキャリアを積めるのは、さまざまな福祉サービスを提供する紀三福祉会ならではの魅力ですね。配置転換はあっても、同じ建物内にある別施設への異動だったりするので、転居を伴う転勤をする必要もありませんでした。
祖母に介護士の仕事を勧められ、高校生の時に今でいう初任者研修の資格を取り、高校卒業と同時に紀三福祉会に入社しました。当初は介護士としておじいちゃんおばあちゃんたちの身体介助を行うんだ。介護技術をどんどん磨くんだ。と意気込んでいましたが、最初に配属されたのはデイサービス。お元気な方が多く、身体介助をする機会はさほど多くなかったんです。正直技術が磨けずもどかしさを覚えました。
でも、目と目を合わせてお話をする機会はたくさんあって、その時培ったのがコミュニケーションスキル。これがなければ、今の自分はありません。利用者様との意思疎通はもちろん、ご家族の方に説明をしたり、生活相談員の頃は社外の方と連携したりと、想像以上にコミュニケーションスキルが求められます。なによりも心と心が通い合ってはじめて、私たちが届けたいサービスを提供できることに気付かされました。
後輩を教育する立場の人達の教育に力を入れたいですね。たとえば、「新人どう?」と先輩たちの間で話し合っていても、良くも悪くも評価されるのは新人たちだけです。うまく上達しない後輩がいたとき、本人のスキルだけを疑うのではなく、教える側の伝えるスキルも疑う必要があると思っています。自分ができたから、新人もできるとは限りません。それを全員が理解できるよう、今以上に役職者のマネジメント教育を進めていきたいですね。いま目の前の目標は、今年自分の部下になる総合職の新人の子を「一番の総合職」に育てること。「藤田に預けたら新人が育つ」そんなふうに言ってもらえるよう、目の前のことから着実に質を高めていきたいと思っています。